源清麿は江戸時代後期に活躍した刀工です。本名は山浦環と言います。師匠にあたる旗本の兵学者、窪田清音から「清」の一字をもらい、本来は「すがまろ」と言うのですが現在では「きよまろ」という名が広く浸透しています。

萩で過ごした時期があり、出奔して萩で過ごしていたというのが定説となっていましたが、最近発見された諸々により藩政改革の一環として武術や武器製作技術の向上を行っていた時期に窪田清音を通じて一時的に招かれ、それで萩で作刀していたことが有力になったとの説が出てきているそうです。

萩で過ごしたあと、源清麿は江戸に戻り、重要美術品に認定されている豪刀を窪田清音に送っているそうです。

源清麿は左利きだったそうで、ヤスリ目の傾きが逆なのが特徴。作風は相州伝。刃紋は互いの目乱れか、互いの目丁子。平字に白髪筋を呼ばれる、銀筋が現れるのも特徴だそうです。

源清麿の作品の魅力には、地鉄の面白さや、刀文の躍動感という人が多いそうです。

新選組の局長、近藤勇が愛用していたのは虎徹だと言う話は有名ですが、その虎徹は偽物で源清麿が打った刀に偽銘を施したものであったという説があるそうです。

源清麿を題材にした作品は多数あります。歴史小説が多いですが、文芸賞の直木賞候補になった小説もあります。四十前半という若さで自刃したことから、ドラマ性も産まれたのかも知れません。窪田清音をパトロンとし多くを作刀したようですが、一振りしか現存していないのも不思議な魅力を発しているのかも知れません。

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